現在アメリカでイベント、パフォーマー、ショップ等の総合プロデュースを手がける女将ひばり(おかみひばり)さん。
女将ひばりさんにインタビューを行い、バーレスクとの出会い、イベントやパフォーマーをプロデュースする中で見つけた「Happyルール」について伺いました。
もくじ
女将ひばりのバックグラウンド
―はじめまして、まずはバックグラウンドについて教えてください
母がエンターテイメントが好きで、幼少期から毎週のようにライブやショー、ミュージカルに連れて行かれたんです。その影響で私もエンターテイメントが大好きになりました。
面白かったのは、私が5歳になった頃から母にショーの感想を聞かれるようになったこと。「今日のショーどうだった?」「誰々がよかったね」などと、ショー鑑賞後にお茶をしながら母と対等にディスカッションを楽しむようになりました。
―幼少期からエンターテイメントの英才教育を受けていたんですね
そうですね。17歳の頃、母から「あなたが好きなショーが来日するよ」と言われ、それがベルリンを舞台にした20世紀初頭のミュージカル『キャバレー』で。私はセクシーだったり、一際目立つ個性的なパフォーマーが好きだったので『キャバレー』を見たとき「生きていてよかった」と思うほどの衝撃を受けました。
それを母に伝えると「やっぱり好きだと思ったよ。あなたはそういう道(ミュージカルで表現されていたようなキャバレー、バーレスク関係)に進めばいいんじゃない」と言われ、迷うことなくその道を選ぶことに。ところが、1998年頃の日本には自分が思い描くバーレスクのイベントや歴史あるグランドキャバレーはほぼ存在していなくて、さてどうすると考えた時に「それなら自分でやってしまおう」と思い立ちました。
2003年「ザッツ★キャバレー横浜」公演開始
―どのようにしてショーを行ったのでしょう?
わからないことがたくさんある中、場所は新旧が交錯する横浜がベストだと思いました。そこから、昔の資料を読みあさったり、キャバレーやキャバクラなど雰囲気が素敵だと思う会場に50店舗近く電話して「こういうイベントがやりたいんです」と飛び込み営業をしました。すると「来るもの拒まず去る者追わず」という横浜の土地柄もあってか「お姉さん面白いね」と人をどんどん紹介してもらえたんです。
2003年に「DREAMS」というショーパブで第一回目の「ザッツ★キャバレー横浜」をお披露目。そこから徐々に活動が広がっていき、横浜の歴史的な建物などでバーレスクのみならず、バンドさんや、イベントテーマである「エロスでハッピー」的なパフォーマーなどとコラボレイトできるイベントも行えるようになりました。スタッフが頑張ってくれたのもあり、チケットが発売開始から10分で完売するようにもなりました。2008年まで「ザッツ★キャバレー横浜」の活動は続きます。
ニューヨークでの運命的な出会い
―夫でボーイレスカーでもある馬A車道(UmA ShAdow)さんとの出会いは
ニューヨークのオフブロードウェイで「ザッツ★キャバレー横浜」の公演をしたとき、息抜きにバーを訪れました。そこで出会ったのが当時バレエダンサーだった今の夫。
彼に出会う前の私は、結婚願望なども全くありませんでした。それよりもイベント業が大事だった。ですが、私よりもミュージカルに詳しく、即興で一緒に歌ってくれる彼のような人に会うのは初めてで。一目惚れでした。
―運命を感じる出会いですね。出会ってから結婚されるまではどのような経緯だったのでしょうか?
その時彼はニューヨークからポーランドのカンパニーに移籍したばかりで、私は日本に帰国しなければいけませんでした。当時の私は日本でしっかりと結果を残したかったんです。そのため、遠距離恋愛をして、次に会った時に結婚。結婚後も私は日本で仕事を続け、1年ほど別居していました。
―遠距離恋愛で二度目に会ったときに結婚するなんてすごいですね
実質、交際0日で結婚しました。「付き合おう」の言葉もメールだったんですよ(笑)その後、夫のいるチェコに渡り、プロフェッショナルの世界を目の当たりにすることになりました。チェコでバレエダンサーは国家公務員扱いなんです。彼はお給料も出て、保証されていました。
時間ができた私は、夫のいる劇場に毎日ついていき、1年半の間、オーケストラやダンサーがいて「ベストチェコダンサー」にノミネートされた劇場の裏方を研究。今振り返っても、とても楽しい時期でしたね。
特殊なバーレスク・ボーイレスクの世界
―馬A車道(UmA ShAdow)さんはいつボーイレスクに興味を持ったのでしょう?
私と出会った時点で、彼はボーイレスクにとても興味を持っていましたが、私たちの結婚式の二次会で「ザッツ★キャバレー横浜」をスタッフによって、フィーチャリングされたのが大きかった。
そのとき、彼がバーレスクを見て「ボーイレスクをやりたい」と言ったんです。しかし、バーレスクやボーイレスクは特殊な世界で、踊れればいいというわけではありません。歴史やレジェンドなど複雑な絡みがあるんです。だから彼に「難しいよ」と伝えました。
ところが彼は、それから7年あまりバーレスクとボーイレスクを学びます。2015年に彼のボーイレスクの基礎が出来上がったと感じたので、デビューしてもらうことにしました。
―デビューしたての頃は大変でしたか?
彼にはデビューするなら、タイトルを獲りたいという思いがあったんです。そこで彼がタイトルを獲れるようにバーレスクとボーイレスクの基礎、パフォーマンスに関することをとことん教えていきました。彼には厳しい準備期間が7年もあったので、デビューしてからはすぐに上手くいきました。その後は自分自身のスタイルを彼自身で確立して行きました。
―どのような演出を心がけたのでしょうか?
私がプロデュースするキャバレーやバーレスクのイベントには、必ずサプライズがなければいけないと思っていました。見ている人が楽しんでもらえる演出を、常に研究する必要があったんです。
日本人のパフォーマーが海外に進出するとき、日本の要素を絡めることがお決まりになっていて、すでに「日本っぽい」だけでは通用しませんでした。日本の要素に加え、他の日本人パフォーマーができないことをしないと、生き残れないと思い、演出に試行錯誤しました。
コンペティションでタイトルを獲得
―馬A車道(UmA ShAdow)さんの活躍を教えてください
彼はロンドンで行われたヨーロッパ最大級のバーレスクコンペティション、ワールドバーレスクゲームズ(World Burlesque Games)で、デビュー年で新人賞を獲ったり、2年後には男女混合の中優勝し、イギリスの新聞にも大きく掲載されたりしました。ヨーロッパの人々は、私たち日本人がデートで映画を見に行く感覚で、ミュージカルやオペラを見に行ける環境があって、目が肥えている方が多い。そんな中で、日本人がタイトルを獲れたことは、喜ばしい事だと思います。
―日本でバーレスクやボーイレスクがあまりニュースとして取り上げられないのは、なぜでしょうか?
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彼はパフォーマンスの審査員として呼ばれたり、コンペティションでタイトルを獲っているのですが、日本ではアンダーグランドな芸術はニュースに取り上げられにくいんですよね。もっと日本でもバーレスクやボーイレスクをニュースとして取り上げて欲しい。そうなれば、優秀なパフォーマーが海外に流出するのも防げるんじゃないかなと思います。
サプライズとして秘密にしていた目標
―これから挑戦していきたいことはありますか?
日本にいるパフォーマーさん達ももちろん素晴らしい方々が沢山いらっしゃいますが、海外で活躍している日本人パフォーマーもかなりレベルが高くて、本当に素晴らしい。ですが、今はまだ日本にはパフォーマーの才能を活かしたり、パフォーマンスに没頭できるような保証制度や、育てる土壌はまだまだ整っていないと思います。
あと、これはサプライズとして秘密にしていたんですが、私はヨーロッパに自分の劇場を持ちたいと思っています。そこで自分が面白いと思った様々なジャンルのショーケースを、夜な夜な繰り広げてゆきたいという思いがあります。その劇場を目指してきてくれる人がいたら嬉しいですね。
日本のパフォーマーもその劇場で活躍して、箔をつけてくれたらいいなって。また、世界の恵まれない子どもたちにも「ダンスやパフォーマンスで未来が開ける」という希望を与えられる場所にしたいと思っています!
Happyルール|女将ひばり
―最後に「幸せになるための秘訣 = Happyルール」を教えてください。
私のHappyルールは、自分にとって「自分に正直でいること」です。
日々、自分にとって気持ちが良いことを選択していくこと。自分を喜ばせることができれば、周りもハッピーにできます。自分を大事にできないと、周りにも心から感謝できませんよね。
先を思い悩まず、日々の楽しかった出来事を噛み締めながら面白く生きる。それが私の「Happyルール」です。
女将ひばり/Hibari Okami
日本唯一のネオバーレスクショーケース「ザッツ★キャバレー横浜」の主宰。現在はアメリカにてイベント、パフォーマー、ショップ等の総合プロデュースを手がけながら、Switchy Worldのディレクターを務める。
Blog:ザッツ★女将のひば日記
Instagram:Hibari Japon
Switchy World
Switchy Worldは、誰かの人生の切り替え「switch」ポイントで、携われる様な物事、人になれたら嬉しいという思いから立ち上げた、ショー、イベント各種、パフォーマーを中心に、特別な日の為のショップ等あらゆるわくわくする様なものを考える事が大好きなカンパニー。
WEB:Switchy World
編集後記
過去、表舞台にも立っていた女将ひばりさんですが、現在は裏方に徹したいとインタビューを断ろうと悩んでいたそうです。そんな中で、今回インタビューを引き受けたのは、夫であり、ボーイレスクダンサーの馬A車道さんが後押ししてくれたからだったと言います。病に倒れ、大きな手術をした馬A車道さんが、女将ひばりさんを、もっと表舞台にも出てほしいと背中を押してくれたのです。貴重なインタビューとなりました。女将ひばりさん、馬A車道さん、本当にありがとうございました。
この記事が多くの方に届き、日本のダンサーやパフォーマーや応援する人々の希望となれば嬉しいと思っています!
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